2008年03月25日
国境線の最終解決
これは実習に役に立ちそうです。
予習復習いたしましょう。
この国境線は「暫定的なもの」として定められたものであるが、ソビエト連邦がポツダム会談を通じて衛星国であるポーランド人民共和国とドイツ民主共和国(東ドイツ)に押し付けたものであった。従ってこれを否定するという選択肢はあり得ず、東ドイツ成立後の1950年7月6日にポーランド人民共和国とドイツ民主共和国との間でズゴジェレツ条約が締結され、この2カ国間では受け入れられることになった。
もう一つの問題として、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)がこのラインを「ドイツ」とポーランドの国境として受け入れるか?という問題が残っていた。50年代-60年代の西ドイツは共産主義者の支配するドイツ民主共和国を承認せず、これと国交のある国とは外交関係を結ばないという政策(ハルシュタイン原則)を採っていた。このため当初は交渉にすらならなかった。ハルシュタイン原則は1969年に放棄され、翌1970年12月7日に締結されたワルシャワ条約(ワルシャワ条約機構とは無関係)によって、西ドイツとポーランドの国交が結ばれると、この条約の中で「オーデル・ナイセ線が事実上の独・ポ国境である」ことが確認された。野党のCDU/CSUはこの条約の内容(国境線と共産主義ポーランドの承認)を批判して全国的な議論となったが、紆余曲折の末にドイツ連邦議会は1972年5月17日にこの条約を批准した。
さらに1972年12月に締結され、東西ドイツが相互の主権を確認し合った東西ドイツ基本条約の中でも、改めて「ドイツ」とポーランドの国境がオーデル・ナイセ線であることが確認されて、この国境が確立された。
国境線の最終解決
1990年のドイツ再統一の直前である6月12日に旧西ドイツとポーランドの間で改めて国境線として確認され、再統一直後の1990年11月14日に統一ドイツとポーランドとの間で国境線の最終確認条約が締結された。その内容は以下の通りである:
1950年7月6日に旧東ドイツとポーランドとの間で締結されたズゴジェレツ条約により定められた国境線を正式な国境線として再確認
以後両国間の国境線は一切変更しない
以後どちらの国家も領土の変更を一切要求しない
ドイツとポーランドの歴史的国境線問題はこのようにして法的かつ最終的に整理された。
なお、現在でもオーデル・ナイセ線以東でポーランドの共産主義化により国家に没収された個人財産を取り返すべきだと主張するドイツの民族主義者はごく少数ながら存在し、会員数約1000人とされる「プロイセン信託」という組織を構成しているが、活動は休眠状態となっている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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